南三陸で感じたこと。

土曜日の夜8時に金山駅を出発して
13時間バスに揺られて
朝の9時に南三陸町に到着。

南三陸に8時間滞在して
17時に出発。月曜日の朝6時に金山駅に帰ってきました。

その目的は二つ。
今日はそのうちの1つの目的。

私にもできるプチ復興支援について
ご紹介したいと思います。

現地の方のお言葉を聞いて心が動きました。
「今は、現地を見てほしい。風化しないためにそれを
多くの方に伝えてほしい。
美味しいものを食べて、お土産を買ってほしい。」っと。

今までボランティアに行く事もできなかったけれど
「これならできる!」っと。

そしてやはり強く感じた事。
多くの報道や、現地に行かれた方の写真を見せていただいたけど
自分の目で見て、感じることの大きさは違います。

1枚目の写真、船がまだ乗っかってます。
4階の窓からも水が流れ出る画像を見ました。

停電でエレベーターが止まってしまい
多くの方が屋上へ逃げる事ができなくて
犠牲になってしまった病院です。

今、立て壊しの作業が始まっていました。

とても有名な
防災対策庁舎。

言葉が出てこなくて
涙が出てきます。

ここの屋上も水に約1分〜2分つかりました。
その間、手すりにしがみつき、水の中で耐えていた方々だけが
助かりました。

防災対策庁舎の前を流れる川です。
川の水位がとても近く感じるのは
地盤が1メートルも沈下してしまったから。

川と歩道の間の手すり?ガードレール?も
支柱だけ残っています。

街の中心地も、土台だけ。

右を見ても左を見ても
山の下の部分の杉の木は枯れています。
この杉の木の根元が塩水に浸かったためだそうです。

赤い鳥居も倒れたままでした。

この地域は
海のすぐ近くの地域。
昔からの教訓で、小学校・中学校・高校は
高台に作られており、
多くの方が地震直後に高台に避難したそうです。

ここから川の上流の町では
「まさかここまで津波がこないだろう」という感覚で
多くの方が犠牲になってしまったそうです。

タクシーの運転手さん(ご自宅も流されてしまった方)が
強くおっしゃっておられました。
「名古屋でも防災訓練しっかりされてますか?
防災意識が高ければ、犠牲は少なくてすむんです。
お子さんの小学校とかどうですか?」と。

私もあまり関係ないっという意識で日々過ごしていたことを反省しました。

いつ、名古屋でおこってもおかしくない地震。
津波の被害はなかったとしても
電気、水道がとまってしまえば、
余震の心配などもあり
1週間は避難生活が続くということです。

ちゃんと考えておく必要があります。

そして
こうして普通の毎日が過ごせていることはとても幸せなことです。
1分1秒を無駄にすることなく
感謝しながら精一杯生活することがいかに大切なことか。

この日は「復興市」が開かれていた日。
復興市の会場と、
三陸さんさん広場へ行って
たくさんの美味しいものをいただきました!

牛タン串焼き。
ホタテ焼き。
山形のこんにゃく。
きらきらウニ丼。

たくさ〜〜んのお土産を買ってきました。
日本酒。
わかめや、のりなど。
お茶。
さくらんぼ。
笹かまぼこ。
銀鮭1本。
などなど。

そして!
長谷部選手にもちらっとお会いできました(^∇^ヘ) ♪
長谷部選手は1億以上の義援金を南三陸に寄付されてます。
カッコいいっ!!!!

南三陸のこの土地は
地盤沈下の問題もあり
まだ手つかずのまま。
まだ10年はかかると言われています。

風化させない。
大きな事はできないけれど
私にできること、続けていきたいと思います。

今日は長くなりました^^